あきらめないという選択

プロフィール
永安 義信(56) 本店 副長佐々町出身 昭和54年入社(勤続34年)

凝り性で何事も究めないときがすまないタイプ。社内では「趣味が仕事」と言われてしまうくらいの仕事人間だが、家では家族思いのよき父親。情に厚く涙もろい一面も。

世の中には「技術屋」とよばれる人たちがいます。特定の高い技術力をもった、いわば技術者(エンジニア)。技術屋は自らの腕を信じ、その技術で生計をたてていく職業です。それは潔くもあり、ある意味最も人間らしい生き方かもしれません。これは、昭和17年生まれ、長崎県北で会社を経営する、ある「技術屋」さんの話です。

取引先の倒産及び売上の減少により経営が悪化

彼が永年の現場経験を活かし、「機械器具設置工事」の会社をたちあげたのは、平成8年のことでした。資本金1,500万円、従業員4名の小さな会社でしたが、その確かな技術と丁寧な仕事ぶりが評価され、すぐに仕事が舞い込むようになりました。

機械器具設置工事とは、現場で機械器具の組立、および設置・取付を行う仕事で、その技術者には専門的知識と高い技術力が求められます。当然ながら、それは一朝一夕に体得できるものではなく、同業者のなかでも社長のもつ特殊技術は抜きんでていました。殊に重機クレーンの設置などは、他にできる業者も少なく、引く手あまたの状態でした。

そんな順風満帆な滑り出しとは一転、会社に陰りがみえ始めたのは、設立から4年後のことでした。当時はバブル崩壊の影響で、日本経済はどん底状態。歴史的な大不況が続き、大手金融機関や企業の倒産が相次いだ時代でした。そんな不況の波は、地方の中小企業にも押し寄せ、社長はついに「不渡り」を出してしまいます。仕事を手形でもらったものの、期限までに資金を集めることができなかったのです。

 

長引く不況の影響で資金が回収できず「不渡り」

story02-11回目の不渡りが出ると、全銀行に対して不渡り発生が通知され、その信用は失墜。さらに半年以内に2回目を出すと取引停止となり、一気に倒産に追い込まれてしまいます。社長は悩みました。一度の不渡りでも、事実上、金融機関からの融資は受けられない状態。このまま会社を存続しても「自転車操業」となるのは目に見えていました。続けるべきか否か・・・しかし、その答えはすぐに出ました。取引業者や、自分に金を貸している債権者からも、支援の声が次々にあがったのです。「返済は長くかかっても、社長には仕事を続けて欲しい」

それはひとえに「社長のもつ技術力を無駄にしたくない、活かしたい」との強い思いからでした。また、決して驕りをみせない社長の謙虚な姿勢、実直さも、後押しの材料となりました。このとき社長は決意します。「こんな自分でも支えてくれる人たちがいる。ついて来てくれる従業員がいる。そして何よりやるべき仕事がある。今はただ続けるしかない!!」それからも安定して仕事の受注があり、なんとか事業を継続していくだけの収入は確保できていました。しかしながら、資金の借り入れができないという現状は変わらず、設備投資や新たな事業への参入といった「会社としての成長」はとても見込める状態ではありませんでした。それは経営者にとって厳しすぎる現実でした。