相棒。        

プロフィール
油谷 桂輔 (43)大村支店 支店長代理川棚町出身 平成21年入社(勤続6年)

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ホテルマンから転職し今の仕事に就く。趣味は釣りと食べ歩き。仕事のモットーは「受容共感 自己一致」お客さまを100%受容し共感することが、お付き合いの第一歩!

 

永尾 高宣社長(67) (株)永尾開発 代表取締役 大村市出身
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大村市で35年にわたり不動産業を営む。仕事を通じて大村の発展を目指す熱い男。趣味はカラオケ、読書。毎朝のラジオ体操とウォーキングが日課。

同タイトルのテレビドラマがヒットし、最近よく耳にするようになった「相棒」という言葉。その語源は江戸時代、二人一組になって駕籠(かご)の棒を担いだことに由来するそうです。互いに息を合わせ、歩幅を合わせ、信頼しあってこそ「相棒」になれる。
今回はけんみんのことを、まさに“経営の相棒”と思ってくださっている、大村市の不動産会社(株)永尾開発の社長さんにお話をお聞きしました。

どの銀行からも見限られたうちの会社に…

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長崎県民信用組合と(株)永尾開発との出会いは2013年5月、職員が会社へ直接訪ねて行ったのがきっかけでした。当時のことを永尾社長はこう振り返ります。
「けんみんさんが来られた時は本当にびっくりしました。どうしてうちみたいな会社に来てくださったんだろうと。十数年前、倒産寸前に追い込まれて以来、うちに銀行や信用金庫の方が来ることはありませんでしたから。感動にも似た気持ちでしたよ」。

訪問したのは、当時入社4年目だった大村支店の油谷桂輔。現在も担当として、永尾社長に『相棒』と頼りにされているけんみん職員です。
「初めて永尾社長にお会いした日のことは、私も鮮明に憶えています。社長室でお話を聞いたのですが、創業当時の苦労話から順風満帆だった時期、そして多額の負債を抱え首が回らなくなった時期のことまで、すべて話してくださいました。話を聞くなかで会社のことはもちろん、社長の人柄までが手に取るように伝わってきて、この人には嘘がないんだなとすぐにわかりました」

お客さまの力になるためには、まず“その会社がどのような道を歩んできたのか”をしっかり確認すること。そして、過去からの情報を整理しながら“一歩先の未来をともに見出していく”こと、それがけんみんの基本姿勢。その日、油谷は堰を切ったように溢れだす社長の言葉を、ひとつ残らず拾い集めました。

不動産バブル崩壊で経営は大荒れ

永尾開発が倒産寸前といわれたのは開業から17年、バブル崩壊の波が大村の町に押し寄せた平成9年ごろのことでした。バブル全盛期は、日本のどこもそうであったように土地の値段が急激に値上がりし、土地や住居・マンションが次々に高値で取引されていた時代でした。一億円を超えるマンションも多く売りに出され“億ション”という言葉も生まれた頃です。永尾社長も“時代の波に乗れ!”とばかり、土地を買い上げ大規模な開発による分譲地と住宅販売を行うなど、大村で瞬く間に業績を伸ばしていきました。その結果、従業員15名を抱える年商9億円の企業へと成長し、県外への進出も計画。まさに向かうところ敵なしといった状態でした。

ところが、バブル崩壊とともに地価が急激に値下がりしはじめ、売れない不動産と借金だけが残った全国の不動産業者は、次々に倒産していきました。永尾開発も例に漏れず、総額2億円の負債と5,000万円を超す未納税を抱えてしまいます。
「このとき、私が手形や小切手を一切使っていなかったので、なんとか倒産は免れましたが、納めるべき税金の額だけでも約5,500万円の滞納。福岡の国税庁へ行き、結局、毎月一定の額を支払うという返済計画書を提出したわけですが、他にも負債がありましたから、毎月その金額を工面するのが大変でした。もちろん、銀行には借りられませんから、ときには金利25~30%の消費者金融を利用したり…あの苦労は一生忘れられません」

この頃、周囲では“永尾開発はつぶれた”という噂が飛び交ったといいます。それでも社長の頭には、会社をたたむという選択肢はありませんでした。“いまに必ず立て直してみせる!”社長は消費者金融から借り入れを行いながら、土地・建物の仲介業を続けました。真面目一徹、誰からも好かれる社長の人柄が、仕事を呼び寄せたのでしょう。お客さまのニーズに応え、人と人、人と建物を繋ぎながら、長い月日をかけ未納税分を完済することができました。